意訳糸洲十訓

前文

 空手道は、古代中国思想(孔子の教え)である儒教や、古代インド発祥(釈迦開祖)の仏教から出たものではありません。その昔、中国より昭林流と昭霊流という二つの流派が、琉球(沖縄)に伝えられたものだと聞いております。この二つの流派はそれぞれ特長がありますので、このままの状態を大切に守りながら伝えていかなければなりません。そのためには、自分だけの思惑で、型に手を加えないという心掛けが肝心です。それで空手道の修練の心得とその効用を、項目ごとに行を改めて書き記してみます。

 

1 空手道は、個人としての体育の目的を果たすだけが、すべてではありません。将来主君(国)と親に一大事が起きた場合は、自分の命をも惜しむことなく、正義と勇気とを持って、進んで国家社会のため、力を尽くさなくてはならぬ、という名分を持っております。ですから、決して一人の敵と戦う意図はさらさらありません。かような次第ですから、万一暴漢や盗人から仕掛けられても、平素の修練の成果により、なるべくこれをうまく捌いて退散させるよう仕向けることです。決して突いたり蹴ったりして人を傷つけることがあってはなりません。このことが、本当の空手道精神であることを、強く肝に銘じて欲しいものです。

2 空手は、専ら鍛えに鍛えて筋骨を強くし、相手からの打撃をも跳ね返すほどの強さにすることが理想です。このように理想的に鍛え上げれば、自然と何事をも恐れず、自分の信念もまげずに振る舞う、逞しい行動力と強い精神力が備わるものです。それにつきましては、小学校時代から空手の練習をさせれば、いつか軍人になった時、きっと他の剣道とか銃剣道のような術伎上達の助けになる効用があります。以上述べましたようなことが、将来、軍人社会での精神面と術技面への何かしらの助けになると考えます。最も、英国のウエリントン候が、ベルギーのワーテルローでナポレオン一世に大勝した時にいいました。「今日の戦勝は、我が国の各学校のグラウンド及びその他の施設で広く体育の教育をやった成果である」と。実に格言というべきでしょうか。

3 空手は急速には熟練するものでなく、「牛の歩みは遅いが終いには千里以上に達する」との格言の如く、毎日一時間か二時間くらい精入り練習すれば三、四年の間には通常の人と骨格が異なり空手の蘊奥を極める者が多数出てくると思う。 空手は、急速に熟練しようとしても、なかなか難しいものです。「牛の歩みは、馬と比較して、より遅いけれども、歩き続けていれば、ついに千里以上の里程を走破することが出来る」との格言があります。そのような心掛けで、毎日一、二時間ほど精神を集中して続けますと、三、四年の間には通常の人と骨格が違うばかりか、空手のかなり奥深いところまで到達出来る者も数多く出るのではないかと思います。

4 空手は、拳足を鍛えることが主体ですから、常に巻藁などで、十分練習を重ねるように努めねばなりません。その要領は、両肩を下げ、胸を大きく張り、拳に力を込め、さらに踏まえた足にもしっかり力を取り、吸った息を臍下丹田(下腹のことで古代中国思想で気が集る所)のところに沈めるような気持ちで練習するとよいでしょう。また、突いたり、蹴ったりする回数は、ともに片方で百回から二百回というところが効果的と考えます。

5 空手の立ち方は、腰を真っ直ぐに立て、重心の平衡が崩れないよう両肩を下げ、力が体重全体に平均に及ぶような心持ちで、しかも両足も力強く立ち、吸った空気を臍下丹田に集中させ、上下の腹筋も丹田に引き合わされるようにして凝り固めることが大事な要点です。

6 空手表芸である形は、数多く練習した方がよいのです。が、漠然と練習してもそれほどの効果はありません。練習の効率をよくし、本物の技を身につけるには、形のなかにある一つ一つの技(手数)の意味を正しく聞き届けるだけでなく、その技はどんな場合に用いるか、ということを確かめて練習しなくてはなりません。さらに、形の中に出てこない特別な突き方(入れ)、受け方(受け)、腕や襟を取られた時の外し方(はずし)、関節の決(極)め方(取り手)などの高度な技があるけれども、それは秘伝になっておりますので、多くは師が弟子に対して口で伝えるようになっております。

7 空手表芸である形は、その技の一つ一つについて、この技の目的は「体」即ち体育(基本鍛錬)のために有効なものか、「用」即ち実用(応用技)として練習するのに適切であるか、あらかじめ確実に理解し、目的と方法を確定して練習しなくてはなりません。

8 空手の練習をする時は、ちょうど戦場に出かけるような意気込みがなくてはなりません。目はかっと見開き、肩を下げて、体に弾力性がつくように固め、また、受けたり、突いたりする技の練習でも、現実に敵の突きを受け、蹴りを払い、体当たりしている実戦さながらの強い意気込みでやらなくてはならないのです。このような練習をすれば、自然と他ではまねのできないすぐれた成果が、形となって現れるものです。以上のことをしっかりと心掛けて欲しいものです。

9 空手の練習は、自分の体力不相応に、力を入れて気張り過ぎると、上気して顔も火照り、目も充血して体の害になるものです。以上のことは、どんな視点からみても、健康のため有害ですので、しっかりと肝に銘じたいものです。

10 空手に熟達した人は、昔から長寿の者が多いのです。その原因をよく調べてみますと、空手の練習が筋骨の発達を促し、消化器を丈夫にして、血液の循環をよくするので長寿者が多いということです。それで、空手は自分以後は、体育の土台として小学校時代から、学課に編入して広く多くの者に練習させていただきたいと思います。そうすれば、おいおい熟達する者が出て、きっと一人で一度に十人の相手にも勝てるような猛者も沢山出てくることと思います。

 

後文

 右の十ケ条の意図で、師範学校や中学校で空手の練習を行い、将来師範学校を卒業して各地の小学校で教鞭をとることになったら、その赴任に先だって、十ケ条に述べました空手教育の意図とその効用を、細かく指示し、各地方の小学校でも不正確な点が少しもないように指導させれば、十年以内には、全国的に普及するはずです。このことはわれわれ沖縄県民だけのためでなく、軍人社会においてもきっと何らかの助けになると考え、お目にかけるために筆記致しました。