唐手は糸洲安恒の尽力により学校体育の教科として創作されたものであるが、実は首里系統の空手にも二種類ある。それは学校系統と自宅系統である。これをこの二つの系統と言うことで言葉ではっきり示したのは、静岡県小田原市在住の土谷秀男先生(遠山寛賢門下、日本空手道泊親会所属)である。三十年くらい前の「月刊空手道」(福昌堂)の記事である。私はここで初めて首里系統にも二系統あることを知った。
ここで、私がお話しする空手は、首里系統の空手に限定するだけではなく、多少は、私が学んだ学校系統に限定することをお許し願いたい。ただ、剛柔流、上地流については全く知らないが、自宅系統はよくは分からないと言うだけのことで、学校系統との共通性もあると思われるので、多少は触れることになろうかと思う。
それでは学校系統とは何を指すかだが、首里の男子中学、男子師範学校の体育を通して広まった系統で、これが本来の唐手(からて)であった。何故かというと、唐手とは、もともとは学校体育の一教科名であり、教科として創設されたもので、男子中学、男子師範の体育の教科として明治38年に登場したものである。これについては後述する。
次に自宅系統であるが、これは糸洲安恒が自宅で指導し普及した系統である。学校系統は学校体育の教科名であり、その目的は糸洲十訓にはっきりと記されている。それでは自宅系統は何を目的としたものかが問題だが、これは想像の域を出ない。学校体育として唐手の創設、充実、拡充を目的として、そのための研究として行われてと言う面もあったかも知れない。手を学校体育の教科としたために、武術的な手を残す目的があったのかも知れない。それを考える資料はないが、首里の手(松村の手)を研究することが目的だったかも知れない。恐らくはこれらが複合したものだったのではなかろうか。